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阪神高速道路とともに歩む

阪神高速道路とともに
1960年代

阪神高速道路の起工式(1962年)

日本が高度経済成長を向かえた昭和30年代から、橋やトンネルなどのインフラ構造物は急速に建設が進みました。

1962

関西では阪神高速道路公団が発足

1964

阪神高速道路公団発足の2年後、環状線の一部2.3Kmが初めての開通式を迎えています。

1970年代

箱桁下面点検

箱桁下面点検

1970

阪神高速道路の始めての供用開始から6年後に総延長74.1Kmの高速道路網が完成しています。更なる拡張を続ける阪神高速道路。その構造物を維持管理する重要性が高まります。

1972

阪神高速道路公団の発足から10年後、道路構造物の点検・調査業務を目的として内外構造㈱の前身の内外工営㈱を設立。当初より阪神高速道路構造物の点検・調査業務に携わります。このころ、インフラ構造物の維持管理の技術力も開発途上で蓄積データもまだ少なく、実験や研究の連続でした。たとえば、大阪市内の環状線ではコンクリートの強度調査、港大橋では鋼鉄鋼材強度の調査、橋桁の鋼製やコンクリート製の耐久性調査などが行われました。

1980

阪神高速道路の落橋防止装置、検査路設置等の施工業務を目的として当社出資のもと㈱構造建設を設立。

1980年代

中央橋桁ブロックの吊り上げ架設

阪神高速道路の総延長が100Kmを突破。
高速道路を走る車両の大型化や通行量の増加により、構造物の想定以上の負荷が掛けられるようになり溶接部やボルトなど接続部の損傷が増加し内外工営㈱ではそうした損傷箇所の点検・調査と補強設計の業務が数多くなっていきます。
このころ阪神高速道路公団と一丸となって維持管理の技術向上やシステムの機能性を切磋琢磨して高めました。

1990年代

湾岸線の点検調査

阪神大震災で倒壊した高速道路

1994

湾岸線は耐久性の設計基準を高め、最高時速80Kmの規格で神戸・六甲アイランドから大阪・関西国際空港の前島まで開通しています。これにより、阪神高速道路の総延長は200Kmに到達しています。

1995

最大の試練は1月17日午前5時46分に発生した阪神淡路大震災です。
特に神戸線の被害が激しく、東灘区深江地区では635mにわたり高架橋が倒壊する衝撃的なものでした。直ちに内外工営㈱及び㈱構造建設が全社を挙げて被災した構造物の緊急点検・調査を実施。

このあとの復旧施工にあたり、阪神高速道路はあらゆる技術的対策を講じ、両社は施工管理に携わり、わずか653日間という驚異的なスピードで神戸線の全線を復旧開通させています。

2000年代
2005

阪神高速道路公団は民営化により、阪神高速道路株式会社が発足。

2006

内外工営㈱と㈱構造建設が合併し内外構造株式会社としてスタートします。

2010年代

北神戸線トンネルの総点検

2012

インフラ構造物の老朽化に警鐘を鳴らす重大な事故が発生します。
12月2日中央自動車道笹子トンネル崩落事故です。事故の翌日、国土交通省から全国のトンネルに緊急点検の指示が発令されます。
阪神高速道路の全トンネルの天井板や大型標識など付帯設備の点検・調査を阪神高速技術㈱とともに内外構造㈱が最優先業務として全社的に総力を挙げて実施しました。従来であれば半年の期間を必要とする点検業務を約3ヶ月の期間で全トンネル上り下り48.123Kmの点検調査を完了しています。

2013

阪神高速道路は2号淀川左岸線が開通し、その総延長は約260Kmに及びます。

2014

4月2日 内外構造株式会社は阪神高速技術株式会社の子会社となり、阪神高速グループの一員となりました。これにより、阪神高速道路の構造物の維持管理体制を強固なものとしています。

内外構造株式会社はインフラ構造物の総合調査コンサルタントとして、阪神高速道路とともに構造物の維持管理に努め、更なる技術の向上と経験を積み重ねていきます。